新版 バブルの物語(2 投機に共通する要因)

ジョン・ケネス・ガルブレイス (著), 鈴木 哲太郎 (翻訳) 2008年12月19日


○ 輪をかけた「てこ」の再発見
 投機のエピソードのすべてに共通しているのは、世の中に何らかの新しいものが現れた、という考えがあることである。その新しいものというのは、後に見る通りさまざまである。一七世紀においては、次の章で見るように、チューリップが西欧へもたらされたことであった。その後の時代になると、今日コーポレーションと呼ばれている株式会社の一見すばらしさであった。ごく最近のアメリカでは、一九八七年の大暴落(もっと穏やかに「市場の溶解(メルトダウン)」と呼ばれることが多い)の前に、ロナルド・レーガンの自信に充ちた自由企業観に対して市場が順応したこと、それに伴って租税、独禁法の運用、規制などの面で経済が政府の束縛から解放されたことであった。
(2 投機に共通する要因)

○ 何か新奇らしく見えるもの
 その時々に革新的だとして喧伝されるものは、例外なしに、既成のやり方をごく僅かかえてみただけのものである。つまり、先に述べたように金融に関する記憶が短いということのゆえに、何か新奇らしく見えるというだけのことなのである。金融界というのは、新しい金融の手段 - それがより不安定な形をとるケースも少なくない - が何度も何度も発見されるのを歓迎するものだ。あらゆる金融上の革新は、何らかの形で現実の資産によって多かれ少なかれ裏付けされた負債の創造を含んでいる。
(2 投機に共通する要因)

○ 「真実はほとんど無視される」
 株式、不動産、美術品、ジャンクボンド、といったようなものに対する投機のエピソードに共通する特徴として最後に挙げられるのは、不可避的な崩壊の後に起こる事柄である。投機が崩壊すると、いつも決まって、怒り、非難、そしてぎくしゃくとした自己反省がまき起こる。
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 一九八七年の株式市場の暴落に先立つ時期が激しい投機の時期として特徴づけられるということについては、これをまじめに否定するものは誰もいないであろう。しかし、暴落が起こった後では、この投機が重要視されることはほとんど - あるいは全く - なかった。投機ではなくて連邦予算の赤字が決定的な要因だとされた。
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 それぞれの投機のエピソードがいつも決まって同じような形で終わるということを知ったとき、それ見たことかといった満足感に打たれる。しかし、先に述べた共通の特徴が確実に繰り返して起こるのを見ることは、実際上きわめて有用である。昔見られた特徴が再現したとき、それを見抜くことによって、さもなければ投機の犠牲となるであろう人も警戒心を持つであろう - もっとも、金融上の熱病はすごい勢いで拡がるから、こうした警戒心を持つチャンスは小さいかもしれない。
(2 投機に共通する要因)

 









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