新版 バブルの物語(4 サウスシー・バブル)

ジョン・ケネス・ガルブレイス (著), 鈴木 哲太郎 (翻訳) 2008年12月19日


○ はじめに
 この大がかりな投機が一七二〇年パリで予想外の - しかし当然予期しえたはずの - クライマックスを迎えつつあったころ、もう一つの投機が同じような状況にあった。そしてこれはロンドンにおいてであった。
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 このブームを正当化したのは株式会社というものの発見であった。これは発見というより再発見という方が当を得ているであろう。株式会社はイギリスではそれより百年以上も前からあった。それにもかかわらず、今や突然、それが金融界および経済界全体の新しい驚異として登場したのである。
 十八世紀の初期には、きわめて想像力豊かな株式の販売促進や目論見が幾つもあった。例えば、当時としてはかなり時代の先を行くものとしてタイプライターの製造・販売をおこなう会社であるとか、敵がキリスト教徒であるかトルコ人であるかに従って丸い弾丸と四角い弾丸とを打ち分けることのできる微妙な機関銃の企画であるとか、機械仕掛けで動くピアノであるとかいったものがこれである。アイザック・ニュートン卿はかつて、「私は物体の運動を測定することはできるが、人間の愚行を測定することはできない」と述べたことがある。しかし彼は自らの愚行を測定することもできなかった。というのは、彼は来るべき投機の馬鹿騒ぎに巻き込まれて二万ポンドを失うことになったからである。
(4 サウスシー・バブル)

○ ロンドンに訪れた投機の機会
 サウスシー会社は一七一一年に生まれた。
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 イギリスでは、フランス同様、これに先立つスペイン継承戦争の時期に生じた政府債務がとどこおっていて、何とかしなくてはならない状況にあったのであるが、この問題はこの会社によってうまく解消されるやに見えた。サウスシー会社は、その設立免許と引き換えに、この多様な負債を引き受け、整理することとなった。会社は政府から年六パーセントの利子の支払いを受け、株式発行の権利を与えられたほか、「一七一一年八月一日以降、アラノカ川からティエラデルフエゴの南端に至るまでのアメリカ大陸の東岸とイギリスとの間の貿易の独占」を与えられた。さらにアメリカ大陸西岸との貿易並びに「スペインの領土または今後発見されるものを含めてこの地域にあるすべての国との間の貿易」が後に追加された。
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 一七二〇年にイギリスの大衆 - というよりむしろ、金融的致富の思いにとびつきやすい人たち - は、南の海が提供する機会らしきものに対して強い反応を示した。
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 会社の株価は、一七二〇年の一月には約一二八ポンドであったのが、三月には三三〇ポンドとなり、五月には五五〇ポンドとなり、六月には八九〇ポンドへ上がり、夏には約一〇〇〇ポンドにまで上昇した。イギリスにおいて、そしておそらくパリやオランダにおいてさえも、これほど多くの人が突然これほど金持ちになったことはそれまでなかった。通例のことであるが、一部の人が努力することなしに金持ちになっていくのを見るにつけても、この流れに参加しようと殺到する人が増え、それがまた株価上昇にいっそうの拍車をかけたのである。
(4 サウスシー・バブル)

○ バブル法と株価暴落
 その頃はサウスシー会社だけが投機の機会を提供していたわけではない。この会社の成功は、少なくとも一〇〇を数える模倣者・便上者を産み出し、それらのすべてがこのブームに参加しようとしていた。こうしたものとして挙げられるのは、永久運度を開発する会社(これも時代の先を行くものだ)、馬に保険をつける会社、石鹸の製造技術の改善を図る会社、毛髪の取引をする会社、牧師館および教区牧師の家を修繕・改築する会社、水銀を可鍛性の純金属へ変換する会社、私生児を受け入れて養育する家もしくは病院を建てる会社、「大いに利益になる事業をするのだが、それがなんであるかは誰も知らない」という不滅の会社などである。
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 しかしこの頃になると、サウスシー会社の終焉が見えてきた。その株価は暴落に転じた。その原因の一部が社内の人や会社幹部の利口な利食い売りだったことは疑いない。
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 チューリップ狂およびジョン・ロー事件の結末と同様に、ロンドンのシティの経済及びイギリス全体の経済は大いに沈滞した。
(4 サウスシー・バブル)

 









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