新版 バブルの物語(6 一九二九年の大恐慌)

ジョン・ケネス・ガルブレイス (著), 鈴木 哲太郎 (翻訳) 2008年12月19日


○ はじめに
 一九二九年はまた、陶酔的熱病(ユーフォリア)のエピソードに共通するあらゆる要素が明白に備わっていたこと、特に金融上の革新と称せられたものに対する強い傾向があったことによっても記憶されている。この金融上も革新とは、いつものことながら、「てこ」の驚異が再発見されたこと - これについては後に述べる - ならびに天才としてもてはやされた人が続出したことなどである。楽観論の上に楽観論が積み上がって価格を上昇させた。そして、暴落が起こると、結局のところは、前には天才だと考えられていた人たちの精神的・道徳的なひどい欠損が見つけ出され、そうした人たちは、忘却の彼方に沈むだけならまだましな方で、ひどい場合には、世間から誹謗されたり、投獄されたり、自殺したりした。
(6 一九二九年の大恐慌)

○ フロリダと二つの台風
 一九二〇年代の陶酔的なムードが最初に見られたのは、ウォール街ではなく、フロリダにおいてであった。二〇年代中頃におけるフロリダの大不動産ブームがこれである。クーリッジおよびメロンによって生まれた楽観ムードとは別に、フロリダの風土が疑いなく魅力あるものだったことが一役買った。フロリダの風土はニューヨークやシカゴのそれとはおよそ対照的であるということで、多くの人にとってフロリダは輝かしい発見であった。また、ここにも「てこ」があった。土地の区画を買うには、頭金として一〇パーセントほどの現金を支払えばよかった。土地購入の波があるごとに、それ自体が有利だったばかりでなく、次の会の波を誘発した。投機が本格化した一九二四-二五年には、地価は数週間で倍化すると期待されるほどであった。負債がこれほど急速に消えてしまうとすれば、誰がそれを心配する必要があったろうか。
(6 一九二九年の大恐慌)

○ ゴールドマン・サックスの華麗なショー
 ニューヨーク株式取引所に上場されていた普通株の価格が上昇し始めたのは一九二四年のことであった。この上昇は一九二五年も継続した。一九二六年には、フロリダの不動産ブームの崩壊に対して同情的な反応を示したせいか、或る程度反落した。一九二七年には再び上昇した。そして一九二八年には株価が現実に別れを告げたと言ってよいであろう。一九二九年には、この傾向が特に強かった。
(6 一九二九年の大恐慌)

○ フィッシャー教授とポール・ウォーバーグ
 学界の賢人の中で最も著名で、また同時に最も惜しまれるのは、イェール大学のアーヴィング・フィッシャーであった。前に述べたように彼は当時の最も革新的な経済学者だったが、彼自身が市場に深くかかわり過ぎていた。彼もまた、人々が経験しつつある幸運に最も良く奉仕するものなら何でも信じるという基本的な投機的衝動に負けてしまっていた。一九二九年の秋、彼は「株価は永久的に高い高原状態と見てもよさそうな水準に達した」と述べた。この結論は広く報道され、この発言によって彼は永続的な名声を得た。
 フィッシャーのほかにもK、ハーヴァード大学、ミシガン大学、オハイオ州立大学などの学者が楽観的な見解を発表した。そうした中でも特記すべきは、プリンストン大学の若い経済学者ジョセフ・スタッグ・ローレンスであった。彼は株価が頂上に達していた頃、広く引用された次のような評論を出した。「かのすばらしい市場、すなわち、ニューヨーク株市取引所は何百万もの人々の評価によって動いているのであり、こうした人たちの一致した判断は、株価は現在のところ過大評価されてはいないということだ」と。彼はそれに続けて次のように問うた。「この聡明な多数者の判断をくつがえすに足るだけの包括的な学識を持つ賢人グループはどこにあるのか」と。
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 一〇月二一日に始まる終焉が訪れた。
(6 一九二九年の大恐慌)

○ きびしい現実を避けて通る
 一九二九年の恐慌は一つだけ治療的効果を持った。一九二九年は、いささか例外的にも、金融上の記憶から容易には消えずに残ったのである。それに続く四分の一世紀の間、証券市場はおおむね秩序的で退屈なものであった。このムードは普通以上に長く続いたが、金融の歴史はこれで終わりはしなかった。
(6 一九二九年の大恐慌)

 









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