ウォール街のランダム・ウォーカー(第2章 市場の狂気)

バートン マルキール (著), 井手 正介 (翻訳) 2007年5月25日


○ はじめに
 砂上の楼閣は、オランダのチューリップ球根のバブル、イギリスのその名も南海バブル、そしいてアメリカの古き良き時代のブルーチップ銘柄にまつわるバブルである。いずれの場合も、何人かの人たちはある期間、ある程度の金儲けをしたかもしれないが、全く無傷で切り抜けた人はほとんどいなかった。
(第2章 市場の狂気)

1.オランダのチューリップ・バブル
  ※ トルコ原産の珍しい植物
 オランダのチューリップ・バブルは、人類の歴史史上最もすさまじい、お金の欲にかられた投機ブームの一つである。しかも、一七世紀初めてのオランダという堅実な国を舞台に起こったことを考えると、その異常さが一層鮮明に浮かび上がってくると言えよう。
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 チューリップ熱はゆっくりと蔓延していった。
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 チューリップの球根の値段は、みるみるうち上がり始めた。そして球根が高くなればなるほど、チューリップは確実に儲かる投資対象と見られるようになった。
 『群衆の異常な妄想と狂気の記録』という題で、こういった出来事の年代記をまとめたチャールズ・マッケイは、「国全体が経済活動をそっちのけにして、チューリップ球根の投機に浮かれた」と書いている。それによれば、「貴族も、平民も、農民も、水夫も、人夫も、メイドも、煙突掃除人も、年老いたお針子までも、チューリップ熱にとりつかれた」のであった。誰もがチューリップ熱は永遠で、世界中から買い手がオランダにやって来て、どんな値段ででもチューリップを買ってくれると考えていたかのようであった。
 たかが球根の値段がこれ以上上がるわけがないと、最初は馬鹿にしていた分別ある人たちも、友人や身内が巨大な利益を上げるのを目の当たりにして、口惜しがったものだ。自分たちもゲームに参加したいという誘惑に打ち勝つのは、並大抵のことではなかった。そして最後まで参加しなかった人は、ほとんどいなかった。
 チューリップ・バブルのピークは、一六三四年から一六三七年にかけての数年間だったが、その頃になると欲に目がくらんだ人々は、土地、宝石、家具などと引き換えにしてまでチューリップの球根を手に入れようとしたのである。
(第2章 市場の狂気)

2.イギリスの南海バブル
  ※ 国策の「投資」会社
 取引のある証券会社から電話があって、今のところ売り上げも利益も上がっていないが、将来性だけは素晴らしい、新しい会社への投資を勧められたとしよう。あなたは「何をしている会社ですか」と尋ねることだろう。セールスマンは、「申し訳ありませんが、会社の業務内容は誰にもわからないのです。しかし、大儲けだけはお約束できます」というのだ。「これではまるで詐欺ではないか」と、あなたは言うだろう。
 確かにその通り。しかし、三〇〇年前のイギリスでは、こういう会社こそ最も人気のある新規公開株だったのである。そしてまさにあなたが心配した通り、投資家はひどい目に遭った。
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 大英帝国の繁栄が長年続いたおかげで、市民は金持ちになっていたのに、投資機会が不足していたのである。当時は、株式を所有することは一種の特権のように思われていた。例えば一六九三年当時、東インド会社の株主になれた人は、たったの四九九人にすぎなかった。株主になる特典はいくつもあったが、なかでも特に魅力がったのは、配当が非課税だったことである。株主の中には女性も含まれていた。株主は女性が自分名義で持つことのできる、数少ない財産の一つだったのだ。
 投資対象を生み出す必要性に迫られて一七一一年に設立された南海会社は、政府の国債の元利払い能力に対する信頼回復のために設立された国策会社だった。この会社は、一〇〇〇万ポンド近い国の債務を肩代わりし、その見返りに南米貿易権を独占的に与えられたのである。一般大衆は南米貿易は大いなる富の源と考えていたため、南海会社の株式を熱狂的に買い求めた。

  ※ バブル企業が次々と新規公開
 南海会社ですら、お金をドブに捨てたくてうずうずしている愚か者全員の欲求を満たすことはできなかった。そこで市場は、最初から参加できる新しいベンチャーを探し求めた。ちょうど今日の投機家が第二のマイクロソフトや第二のグーグルを探し求めるように、一七〇〇年代初めのイギリス人は、第二、第三の南海会社を求めていた。
 日がたつにつれ、一見天才的なものから滑稽無稽なものまで、ありとあらゆるベンチャー市場に持ち込まれるようになった。イギリスにもたくさんいたにもかかわらず、雄のロバをわざわざスペインから大量に輸入しようという事業や、海水を淡水化しようというものも含まれていた。そして、おがくずから板を作るといった、インチキくさいプロジェクトが次々に増えてきた。こうして打ち上げられた一〇〇近いプロジェクトは、いずれも突飛さといい加減さでは勝るとも劣らないものばかりだったが、巨万の利益を約束するという点だけは共通していた。
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 大衆はどんなものでも食らいつくように思えた。この時期、株式を売り出した新会社の設立目的を見ると、海賊に襲われない船の建造、イギリスにおける馬の品種改良の促進、人の頭髪の売買、私生児の養育院建設、鉛から銀の抽出、さらに永遠に回り続ける車輪の開発、などなどである。
 しかし、何といっても圧巻は、「誰にも実体はわからないが、多大な利益の上がる事業を行う会社」を始めた無名の男だろう。この会社の発行目論見書には、前代未聞の利益が約束されていた。申込受付が始まった朝九時には、あらゆる階層の人たちが群れをなして受付場所に殺到した。そして五時間以内に実に一〇〇〇人もの投資家が、この会社の株式を買うために資金を払い込んだのである。この男は、至って控えめな人間であったと見え、そのお金を手にして店をたたみ、こっそりヨーロッパ大陸に渡った。その男の消息はその後、ようとして知れなかった。

  ※ かのニュートンも大損
 バブル会社に投資した人たちの皆が皆、投資先の会社の事業計画が実現可能と信じていたわけではない。それらのアイデアが可能だと信じるには、「分別」がありすぎた。しかし、誰もが「自分たちよりももっと愚か者が存在する」という理屈を信じていた。株価が上がり、買い手がつけば、その前に買った人たちは利益を得られる。したがって、ほとんどの投資家は、自分たちの行動はバブルが膨らんでいる間は「全く理にかなったもの」と信じていた。
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 ほとんどのバブル会社は投機熱に水をさすことなく潰れていったが、本当の破局は八月に南海会社そのものの、取り返しのつかない失策によって起きた。それは南海会社の経営者や幹部社員たちが自ら仕組んだものだった。彼らは株価が会社の実体とは何の関係もないことに遅ればせながら不安を抱き始め、何と夏の間に自分たちの保有する株を手放していたのである。
このニュースが漏れたために、株価は下がり始めた。そして、ほどなく株価は急落し、パニック状態に陥った。
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 南海バブルで多大な損失を被った人々の中には、かのアイザック・ニュートンもいた。「私は天体の動きは計算できるのだが、人間の狂気ばかりは測りきれなかった」と嘆いたものである。
 これ以上大衆が詐取されるのを避けるために、イギリス議会はバブル防止法を制定し、企業が新規に株式を発行することを禁じた。このため、一八二五年にこの法律が廃止されるまでの一世紀以上にわたって、イギリスで流通する株式の数は非常に少なかった。
(第2章 市場の狂気)

3.一九二〇年代のウォール街が育んだバブル
 成長と機会の平等を重視する国アメリカも、壮大なバブルを演出した経験を持っている。
投機の舞台として、環境がこれほど整ったことはかつてなかった。その時のアメリカは比類なき繁栄の極みにあった。アメリ カのビジネスに信頼を置かないなどというのは不可能だった。
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 一九二八年に入ると、株式投機は国をあげてブームとなった。一九二八年三月から二九年九月初めまでの一年間の間の株価上昇率は、それまでの五年間のそれに匹敵した。主要な製造業の株の一日当たり値上がり幅は、一〇~一五ポンドにのぼることもあった。
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 株式投機が当時のアメリカの生活の中心を占めるようになってしまったということだ。ジョン・ブルックスは、『いにしえのゴルコンダにて』という本の中で、ニューヨークに赴任してきたイギリス人派遣員の感想を、次のように記している。「話題としては禁酒法、ヘミングウェイ、エアコン、音楽、競馬などいろいろあるが、最後はいつも株の話になってしまう。そしてそこで初めてみんなまじめになるのだ」

  ※ 悲惨な不況へ
 一九二九年一〇月二九日の火曜日は、ニューヨーク証券取引所の歴史上、最も破壊的な日となった。パニックの度合いで、この日と肩を並べられるのは、その直前の一〇月一九日と二〇日くらいのものだろう。この日の出来高は一六四〇万株以上だった(これを二〇〇六年現在の上場株数で修正すれば、おそらく三〇億株以上に相当すると思われる)。株価はほぼ一直線に下落し、表2に示されるように、その後三年間下げ続けた。最も「安全」な株と言われたAT&Tのように、四分の三しか目切りしなかったものもあるが、ほとんどのブルーチップ銘柄は、三二年の底値に至るまでに九五%以上も下落した。

  ※ まとめ
 私の個人的経験から言うと、市場で常に損をする人たちというのは、大小様々のチューリップ・バブルの魅力に抵抗できないタイプの人たちである。株式市場で金儲けをすることは、実際、それほど難しいことではない。後で見るように、仮にウォールストリート・ジャーナルの株価欄にダーツを投げて銘柄を選んだとしても、長期的にはかなり高いリターンを上げることができるのである。むしろ難しいのは、短期的にてっとり早くお金を儲けられそうな投機に、お金をつぎ込みたくなる誘惑をふり払うことのほうである。
(第2章 市場の狂気)

 









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