ウォール街のランダム・ウォーカー(第3章 株価はこうして作られる)

バートン マルキール (著), 井手 正介 (翻訳) 2007年5月25日


2.黄金の六〇年代
  ※ 「成長」という魔法の言葉
 一九五九年から始めることにしよう。「成長」こそがその時のマジック・ワードで、ほとんど神秘的な力を持っていたのである。IBMやテキサス・インスツルメンツといった当時の代表的な成長株は、八〇倍以上の株価収益率で取引されていた(もっとも一年後には二〇~三〇倍台に下がったが)。
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  ※ 社名こそが鍵
 新規公開銘柄はたいていの場合、その事業内容にかかわりなく「エレクトロニクス」という名詞をもじった社名を冠していたため、「トロニクス・ブーム」と呼ばれた。これらの銘柄の買い手は、エレクトロニックの響きのある名前がついていさえすれば、事業内容には全く関心がなかった。例えば、アメリカン・ミュージック・ギルドの事業は訪問販売でレコードとプレーヤーを売る以外は何もなかったのだが、「公開」直前に社名を「スペーストロン」に変更した。この会社の株価は公開時には二ドルだったのが、数週間のうちになんと一四ドルにまで上昇した。
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 SECはまた、多くの引き受け業者が人気銘柄のかなりの部分を、パートナーや親類、幹部社員、日頃世話になっている証券ディーラーに割り当てていたことも突き止めた。本来なら一般に売り出されるべき新規発行株式の八七%が、「インサイダー」に割り当てられていたケースもあった。
 表1は、この時代の代表的な新規公開銘柄と、公開後の値動きを示している。値動きの荒っぽさは見ての通りだ。投機熱が凄まじかったために、マザーズ・クッキーのようなつまらない会社ですら、かなり値上がりが期待できた。もし、社名を「マザートロンズ・クッキートロニクス」とでもしていたら、一体どこまで値が上がったことだろう。しかし、一〇年後には、これらの会社の株のほとんどは紙屑同然になっていた。

  ※ “愚か者”へのSECの警告
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 トロニクス・ブームは一九六二年には瓦解した。その年の初めに暴落が始まり、五か月後には売りの大波となった。昨年の人気銘柄も今日は紙屑となった。しかし、プロの多くは、自分たちが我を忘れて投機に走ったことを認めようとはしなかった。そして、「後になってから相場が高すぎたとか、安すぎたとかを指摘するのはきわめてやさしい」と述べた人は、あまりいなかった。ましてや、「どんな時にも株価の適正水準はどれくらいかをわかっている人は誰もないようだ」と指摘した人は、ほとんどいなかった。

  ※ 「幸福の手紙」のように
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 転換社債や優先株が普通株に転換された場合の希薄化効果を、投資家が全く考慮しなかったことは、今から振り返ると信じられないことだ。実際、こうした操作が頻繁に行われるようになったため、今では企業は、「完全希薄化後」のベースで一株当たり利益を報告するよう義務付けられている。これは、転換によって増加するはずの株数も考慮に入れて修正した数字である。しかし、一九六〇年代半ばには、ほとんどの投資家はこういった込み入った問題は無視して、ただただ一株当たり利益が着実かつ急速に増加するのを喜んで眺めていたのだ。

  ※ 言葉のイメージで投資家を幻惑
 オートマチック・コーポレーション(後にA・T・O・インクとなり、さらにその後、同社の控え目なファジー社長の要請でファジー・インターナショナルと改名)は、一九六〇年代の「作られた」成長ゲームを示す格好の例である。一九三六年から六八年にかけて、同社の売上高は一四〇〇%以上増加した。この記録的成長は、もっぱら買収によって達成されたものである。
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 合併が盛んになるにつれて、コングロマリットの株価収益率は下がるどころか、ぐんぐん上昇した。

  ※ 錬金術の瓦解
 一九六八年一月一九日、さしものコングロマリットの勢いにも、陰りがさしてきた。この日、コングロマリットの元祖ともいうべきリットン・インダストリーズが、第二・四半期の利益は当初予想値を大幅に下回ると発表した。ほぼ一〇年間、同社は年率二〇%の利益成長を続けてきたのだった。この会社の錬金術をすっかり信頼するようになっていた市場にとって、この発表は寝耳に水で、大きな失望とショックで迎えられた。直ちに売りが殺到し、コングロマリット株は桁並四〇%も下落し、ようやく下げ止まった。
 しかし、それは束の間の小休止にすぎなかった。七月に連邦取引委員会(FTC)は、コングロマリットの合併動向の徹底調査を行うと発表した。これを受けて、株価は再び下落した。SECと企業会計基準の専門家たちも、遅ればせながら合併・買収の会計テクニックの解明に重い腰をあげた。市場では売り注文が殺到し、それに追い打ちをかけるように、合併ブームの行き過ぎを懸念するSECや司法省の高官の新たな声明が出されたのである。
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 このエピソードに関連してもう一つつけ加えておくと、一九八〇年代になって脱コングロ化がブームになったことだ。元コングロマリットの多くが、収益改善を図るために、関連性の薄い、利益の上がっていない買収先を切り離して、売却し始めたのである。
(第3章 株価はこうして作られる)

3.低迷の七〇年代
  ※ ニフティ・フィフティ銘柄への集中投資
 一九七〇年代に入ると、「健全な原則」への復帰が叫ばれ始めた。今やコンセプト株の時代は去り、成長性の見込めるブルーチップへの投資が主流になった。しっかりした実績に裏付けられたブルーチップ銘柄ならば、六〇年代に投機筋の人気を集めた株のように暴落することはあるまい、というわけである。ブルーチップ株以上に安全な投資先はなく、後はゴルフでもして待っていれば、毎年確実にリターンがもたらされるという理屈であった。
 機関投資家がこぞって入れあげた優良な成長会社は、四〇~五〇社に限られていた。それはIBM、ゼロックス、エイボン・プロダクツ、コダック、マクドナルド、ポラロイド、ディズニーといった、いずれもおなじみの会社であり、ニフティ・フィフティ(素晴らしい五〇銘柄)と呼ばれるに至った。
 これらはいずれも時価総額の大きい銘柄であり、機関投資家がある程度買い上げたとしても、株価にあまり影響しないと思われていた。また、プロといえども売買のタイミングで勝負することは、不可能でないとしても非常に難しいという認識が行き渡った。このため、ブルーチップ株投資は非常に理にかなっていると思われた。仮に一時的な高値でこれらの株式を買っても、成長性があるためいずれ株価は回復して、損は表面化しないだろう。さらに、これらの銘柄は先祖代々の家宝のように、いったん買ったらずっと持ち続けるタイプのものなのだ。したがって、これらの銘柄は別名「ワン・デシジョン・ストック」と呼ばれた。一度買いを決めたら、ポートフォリオ運用の苦労から解放されるというわけだ。
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 信じがたいことだが、機関投資家のファンドマネジャーがついにブルーチップ株で投機を始めたわけだ。
 機関投資家のプロたちは、大企業の場合にはどんなに高成長でも八〇倍とか九〇倍の株価収益率を正当化するのは不可能だということをすっかり忘れてしまったのだ。
 
  ※ 「二重相場」の破綻
 株式市場の一九七二年初めから下落し始めるにつれて、このニフティ・フィフティ現象は一層異常に見えた。市場全体が下落を続ける中で、ニフティ・フィフティ銘柄だけは記録的高水準の株価収益率を維持し続け、相対的にその過大評価ぶりはさらにひどくなった。
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 ニフティ・フィフティ熱は他のすべての投機ブームと同様、やはり終わりを迎えた。というのも、しばらくするとニフティ・フィフティ・ブームを演出した当のマネーマネジャーたちが、遅ればせながら考え直して売りに転じたのである。その後の暴落とそれに続く長い調整の過程で、これらの優良会社の株式は見向きもされなくなってしまったのだ。
(第3章 株価はこうして作られる)

4.狂乱の八〇年代
  ※ 公開株ブームの華々しいカムバック
 一九八三年前半のハイテク株公開ブームは、六〇年代の完璧な再現と言ってよかった。強いて違いを探せば、業種の中にバイオテクノロジーやマイクロエレクトロニクスという新顔があり、社名が違っていたくらいである。
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 投資家にとっては、新規公開株の公募こそ最もホットなゲームだった。
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  ※ コンセプト株の復活
 一九六〇年代のエレクトロニクス株の役割を演じたのは、八〇年代にはバイオテクノロジー株だった。バイオ革命はコンピュータ革命に匹敵すると考えられ、遺伝子組換技術の将来に関する楽観論はバイオ会社の株価にも反映された。
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 第一回目のバイオ・フィーバーを起こしたきっかけとなった製品は、抗癌剤インターフェロンだった。アナリストの予測によれば、インターフェロンの売上高は一九八二年に一〇億ドルを超えるというものだった。現実には、この成功商品の売上高は八九年にようやく二億ドルになったにすぎなかった。
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 いかがわしい会社ですら、テクノロジーの潜在的可能性というイメージの下で買い上げられた。
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 八〇年代には、いくつかのバイオ銘柄の株価は、何と売上高の五〇倍で買われたのである。株価評価法を研究する者の一人として、私はこのように馬鹿げた水準になった株価を、証券アナリストたちがどのように正当化するかを興味深く読んだものだ。バイオ関連企業で利益が出ているところは一社もなかった。また、現実問題として向こう何年間か、利益が上がることは見込めなかった。その上、売上すら上げていないところが多かった。
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 一九八〇年代半ばから後半にかけて、ほとんどのバイオ株の時価総額は四分の三も目減りした。技術革新自体は本物であったとしても、それが投資家に対して成功を保証するわけではないのだ。

  ※ バブルの修正は情け容赦なく
 歴史から得られる教訓は明白だ。その時の市場の投資スタイルや流行のはやりすたりが、株価形成に大きな影響を及ぼすということである。株式市場の動きは、時には砂上の楼閣理論とうまく合致することがある。それだからこそ、投資というゲームはこの上なく危険なのである。
 もう一つ、肝に銘ずべき教訓は、投資家はその時々もてはやされる「新規公開株」を買う時には、よくよく用心すべきだという点である。ほとんどの新規公開銘柄の投資パフォーマンスは、市場平均を下回っているのだ。もしこれらの銘柄を、株価が上がった後で市場から買う場合には、もっとひどいことになる。新規公開銘柄に関しては、基本的に疑いの目で見ることをお勧めしたい。
 新規公開株の売り手の大半は、会社の経営陣そのものだということを覚えてほしい。自分の会社の株式を売るのは、業績がピークに達した時か、あるいは流行に乗せられた投資家の熱狂が最高潮に達したタイミングで行われるのが常である。
(第3章 株価はこうして作られる)

5.思い上がりの九〇年代
 一九五五年から九〇年代にかけて、日本の地価は約七五倍に高騰した。そして、九〇年には日本の地価総額は約二〇兆ドルと推定された。これは世界全体の富の約二〇%に、世界中の株式時価総額の二倍に相当するものだった。アメリカは国土面積では日本の二五倍も大きいが、九〇年代当時は日本の経済繁栄を織り込んで日本の地価総額は、何とアメリカ全体の五倍も評価されたのだ。計算の上では日本は単に首都圏を処分するだけで、アメリカ全土を購入することができたことになる。また、皇居とその周りの土地の評価額だけで、カリフォルニア州全体を買うこともできたのだ。
 このような地価の高騰を反映して、日本の株価も、風のない晴れた日にヘリウム風船を放ったように上昇し続けた。一九五五年から九〇年にかけて、日本の株価は一〇〇倍にもなったのである。八九年のピークには日本の株式時価総額はアメリカの1.5倍の四兆ドルに達し、世界全体の株式時価総額の四五%を占めたものだ。
 ファンダメンタル価値を信じる投資家には、気の遠くなりそうな話だ。日本の株式の平均PERは六〇倍で、株価純資産倍率は五倍、それに配当利回りはわずか〇.五%と聞いて、目がくらんだに違いない。アメリカの平均PERは一五倍、イギリスでは一二倍で取引されているその同じ時に、である。
 バブルの最中に公開されたNTTの時価総額はAT&T、IBM、エクソン、GE、GMを全部足したものよりもさらに大きかったのだ。
 このような株価・地価バブルの背景には、二つの神話があった。一つは、「日本では地価が下がることなどありえない」というもので、もう一つは、「株価は常に上昇する」というものであった。
 通勤電車でサラリーマンたちが手にしていたポルノ雑誌は、あっという間に株式投資の指南書に取って代わられた。
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 異常な高株価を肯定する陣営は、あらゆる疑念に対する答えを用意していた。例えば「株価収益率は成層圏に届いているんじゃないか」と問えば、「そんなことはない」とたちどころに兜町のセールスマンの答えが返ってくる。「日本の企業の減価償却費はアメリカに比べて過大表示されている。それに、株式を一部保有している多数の子会社の利益が連結されていないから、日本のPERは実際より過大に表示されているにすぎない」というのだ。「こおうした違いを調整すれば、日本のPERは実はそんなに高くはない」と。「それにしても、〇.五%の配当利回りというのは、あまりにもひどすぎるのでは」というと、「歴史的な低金利を反映したものにすぎないさ」という具合だ。「株価純資産倍率が五倍を超えているは、危険水準ではないか」という問いにも、直ちに「全然心配はいらない」という答えが返ってきた。日本企業のバランスシートは、上昇を続けてきた土地の本当の価値を反映してないというのだ。そしてまた、日本の土地の値段は、高い人口密度を利用可能な土地の売買を制限する様々な規制や税制の存在によって正当化された。
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 バブルの破綻は、日本の金融システムならびに日本経済全体に対して、甚大な影響を及ぼすことになった。アメリカと異なり、日本では商業銀行も生命保険会社も一般企業も、巨額の株式や不動産を保有していたのである。この結果、バブルが崩壊したことによって金融システムが破綻し、深刻な景気後退が二一世紀に入ってからも日本経済を苦しめ続けることになった。
(第3章 株価はこうして作られる)

 









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