ウォール街のランダム・ウォーカー(第12章 インフレと金融資産のリターン)

バートン マルキール (著), 井手 正介 (翻訳) 2007年5月25日


1.何が株式と債券のリターンを決めるのか
 一九二六年から二〇〇六年にかけて、年平均総リターンは約一〇.四%であった。
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 投資期間が一年あるいは数年といったより短いものになると、第三の要因が非常に重要になってくる。それは市場の評価水準の変化 - 特に株価配当倍率あるいは株価収益率 - の水準の変化である
 これらの倍率の年々の振れは非常に大きい。例えば、二〇〇〇年三月のような非常に強気の相場の下では、株価収益率は三〇倍を上回る水準にあった。そして株価配当倍率は八〇倍以上にもなっていた。逆に、一九八二年のように市場が非常に弱気の局面では、株価収益率はたったの八倍、株価配当倍率も一七倍までしか買われていなかった。
 株価配当倍率はまた、その時々の金利水準にも影響される。金利水準が低い時は、債券と比較される関係にある株式の配当利回りも低下し、したがって株価収益率は上昇する傾向がある。逆に高金利の局面では、金利に対抗して配当利回りも上昇する傾向があり、株価収益率は低下する。
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 インフレは、証券投資のリターンの足を引っ張る要因の中では伏兵である。債券市場ではインフレは常にマイナス要因である。もし投資家が実質五%のリターンを要求するとすれば、インフレがゼロの状態で最終利回りが五%なければならない。もしインフレがゼロから五%に高進したとしよう。投資家が以前として実質五%のリターンを要求するならば、各目ベースの最終利回りは一〇%に高まらなければならない。問題はこのために既発行の債券価格が大幅に下がり、それを保有している投資家は大きな値下がり損に見舞われるということである。したがってインフレ・スライド条項つきものを除くと、債券投資に関してはインフレは致命的な悪影響を及ぼす。
 これに対して株式は原理的にインフレ・ヘッジが効いており、少なくともインフレの進行がそのままマイナスの影響を及ぼすことはないとされている。というのは、理屈の上では、インフレが一%進めばすべての物の値段も、工場や機械設備の価値も在庫の評価額も、インフレにスライドして一%上昇するはずだからだ。利益や配当額もインフレに歩調を合わせて増加する。
(第12章 インフレと金融資産のリターン)

2.時代区分でみた金融資産のリターン
  ※ 第Ⅰ期:安寧の時代
 第二次大戦の終了とともに大消費ブームが訪れた。アメリカ国民は戦争中は自動車や冷蔵庫は言うのに及ばず、ほとんど何も買わずに耐乏生活を強いられていたため、堰(せき)を切ったように貯蓄をおろして使い始め、緩やかなインフレを伴ったミニブームを作り出した。しかしながら、この世代は一九三〇年代の大恐慌の記憶から解放されることはなかった。経済学者の間では職業的悲観論が頭をもたげ、間もなく彼らは深刻な景気後退、あるいは不況の訪れが避けられないと確信するようになった。
 株式市場にも経済学者の悲観的見方が伝わり、不安が影響を落とし始めた。この結果、一九四七年初めの配当利回りは五%と異常に高く、また一二倍近くにあった株価収益率も長期平均値を大幅に下回っていた。
 しかし、皆が恐れたような不況はこなかった。一時的な景気後退はみられたものの、アメリカ経済は一九五〇年代、六〇年代を通してきわめて健全な成長を続けた。ケネディ大統領は六〇年代初めに大幅減税を提案し、彼の死後、六四年に実現した。減税による需要増大とベトナム戦争拡大による財政支出の伸びが重なって、雇用水準は高まり、経済は活況を呈した。一方、インフレは六〇年代末までは深刻な問題にはならなかった。投資家は次第に自信を強めていき、六八年には平均株価収益は一八倍を超え、S&P指数ベースの配当利回りは三%前後に低下した。
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 この期間ずっと債券を持ち続けたとしても、リターンは低くなるように運命づけられていた。第二次大戦中、政府は長期国債の利回りを統制しており、二.五%以上になることを認めなかった。戦時公債をなるべく低利で大量に発行するための措置であったが、これが一九五一年になってやっと解除され、金利が上昇し始めたのである。したがって債券投資は、この時代にいわば「往復ビンタ」をくらったようなものだ。
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  ※ 第Ⅱ期:受難の時代
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 六〇年代後半になってアメリカがベトナム戦争に本格的に介入し始めたため、典型的なディマンド・プル・インフレ、つまり総需要が供給量を上回る状態が招来された。このためインフレは四%ないし四.五%の水準に高まった。インフレがひとたび高進し始めると、経済が不況に陥っても、インフレはなかなか収まらないものである。そして七〇年代にはこうした状況が慢性化した。
 アメリカ経済はその後、一九七三~七四年に石油および食糧危機に見舞われた。
 いろいろな問題がすべて、まずい方向にいってしまったのである。OPEC(石油輸出機構)は人為的に石油不足の状態を作り出そうとしたし、また自然災害によって北米、ソ連およびサハラ砂漠以南のアメリカンの農作物が深刻な不作に陥り、本物の食糧危機が起こった。
 インフレはさらに高進し、六%から六.五%に達した。その後、七八年と七九年には、経済政策上のミスが重なったせいもあって、いくつかの産業セクターで超過需要が起こった。加えて石油価格が一二五%も上昇したため、インフレは一段と深刻になった。そのため資金、すなわち労働コストが大幅に上昇した。八〇年代初めにはインフレは一〇%台に乗せ、アメリカ経済は制御不能に陥ったのではないかと懸念された。
 ついに当時、連邦準備理事会(FRB)議長だったポール・ボルカーは断固たる措置をとった。FRBは経済の手綱をもう一度しっかり握り直して、インフレを退治するための超金融引締政策に転じたのである。その効果あってインフレは間もなく鎮静し始めたが、経済も瀕死の状態に陥った。景気は一九三〇年代以降最大の落ち込みを記録し、失業率は急上昇した。そして八一年末には、二桁のインフレと二桁の失業率に呻吟することになったのである。
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 株式と債券の名目リターンはマイナスではなかったが、平均七.八%のインフレを差し引けば、実質リターンはマイナスになっていた。これに対して金や骨董品、不動産などの実物資産は二桁のリターンを上げた。
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 一九六九年から八一年の間に、S&P指数の株価収益率は三分の二も下落したのである。まさにこの株価収益率の大幅な下落こそが、七〇年代の株式投資のリターンを異例に近いものに終わらせ、健全な企業収益や配当の成長を株価に反映させることを妨げた犯人なのだ。
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 株式市場は、利益や配当の水準に対する株価倍率の水準を相対的に引き下げることによって、リスク・プレミアムを高めるのである。株価が下がることによって、それをベースにして、リスクの高い新しい環境にふさわしい、より高いリターンが期待できるようになるのである。
 実は一九六〇年代後半から七〇年代前半にかけて、期待リターンを大きく低下させる方向に働いた市場の調整力が、まさに八〇年代初めにはきわめて格安な価格水準を現出させたのである。
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  ※ 第Ⅲ期:豊穣の時代
 それでは次に、金融資産のリターンの黄金時代である第三期 - 一九八二年から二〇〇〇年初めまで - に目を転じよう。この時代が始まる時、株式も債券も新しい経済状況に対して十分に、いや十二分に調整ずみだった。株価も債券価格も予想されるインフレを十分織り込んだところまで下がっており、非常に高い実質リターンを提供していた。
 実際、一九八一年の秋には債券相場は落ちるところまで落ちていた。ウォール街の裏情報紙であるボールストリート・ジャーナルは、八一年のパロディ特集の中で、「債券とは値下がりするように設計された確定利付証券のことである」と茶化したものだ。その当時、優良な社債は八%のインフレに対して一三%で回っていた。この結果、優良社債の実質利回りは五%と歴史的な高水準になっていた(優良社債の実質利回りは長期平均は約二%である)。確かに債券価格は昔に比べると変動性が高まっており、その分、高いリスク・プレミアムが要求されだしたことは事実である。しかし私には、この状態はパニックに陥った機関投資家が、債券投資のリスクを過大評価しすぎた結果だと思われた。過去一五年間の債券投資のパフォーマンスがあまりにも惨めだったため、機関投資家のファンドマネジャーたちはまるで最後の戦いに出陣する老将軍のように、もうこれ以上債券には深入りしたくないという心理状態だったのだろう。
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 株式もまた、企業収益の循環的なボトムの異常に低い水準をベースに非常に低い株価収益率で評価されていた。このため株価は、企業が保有する実物資産の時価による再取得価格と比べてその何分の一という低水準にあった。
 一九八〇年代に大規模な企業買収ブームが訪れたのは当然の成り行きであった。実物資産を直接市場で購入するよりも、株式を取得することによってもっと安く手に入れられるとなれば、企業は当然ほかの企業を買収し、あるいは自社株の買戻しを始めるだろう。八〇年代の初めに金融資産はインフレを十分に織り込み、さらにインフレに伴う不確実性も十分ないし十分以上に織り込んでいる状態だったのだ。
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 投資家のマインドが絶望から至福の状態へと一八〇度転換したことである。これを反映して、株価収益率は三〇倍近くへと三倍以上も上昇し、そして配当利回りは一%強へと大幅低下した。
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 振り返ってみると、一九八二年から二〇〇〇年初めにかけては、一生に一度あるかないかの金融資産投資には最高の時代だった。これに比べて、金や石油などの実物資産はおしなべてマイナスのリターンに終わったのである。
(第12章 インフレと金融資産のリターン)

3.二一世紀はどうなるか
 一九八〇年代から九〇年代にかけて株式や債券が享受したような、二桁のリターンを期待することは、少なくとも二一世紀の最初の二〇~三〇年間に関しては非現実的であろう。
 ご承知のように、豊穣の時代の後に大きな下落局面を迎えた。S&P五〇〇指数は二〇〇二年央にかけてピークから四〇%も下落し、ハイテク銘柄中心のナスダック総合指数は五〇〇を上回るところから七五%も暴落して、一一〇〇前後になってしまった。それに追い打ちをかけるように、二〇〇一年九月一一日には同時多発テロ事件が起こった。また、エンロン、ワールドコムなどの大がかりな粉飾決算が次々と表面化したため、株式市場に対する信頼は大きく損なわれてしまった。
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 債券を長期保有する場合、どの程度のリターンが期待できるかについては、二〇〇六年末の時点でかなりはっきりした見通しが立てられる。堅実な企業が発行する優良社債を満期まで保有する場合には六%程度のリターンが期待できる。また、長期のゼロ・クーポンの国債では五.二五%程度、長期のTIPS(インフレ・ヘッジ条項付きのアメリカ国債)では二.五%程度が期待できる。当時二%程度のインフレが続くと仮定すると、国債も優良社債もプラスの実質リターンをもたらすものと考えられる。新しい世紀の幕開けとしては、債券は決して悪くはない投資対象と言えるだろう。
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 一九六〇年代の半ばに、アメリカを代表するエコノミストたちが、もはやインフレ(当時一%前後だった)は過去のものとなり、景気変動も十分一定の範囲内にコントロールできると大真面目で主張していたことを思い出してほしい。そしてまた九〇年代の初めには、経済・経営分野のメディアには日本の経済システムと経営手法を喧伝する記事が満ち溢れ、日本の株式市場の異常に高い株価収益率にも十分な根拠があると言っていた。
(第12章 インフレと金融資産のリターン)

 









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