ピーター・リンチの株式投資の法則(第12章 砂漠の中の一輪の花 - 斜陽産業における偉大な会社群)

ピーター・リンチ (著), 酒巻 英雄 (監訳) 2002年3月14日


○ はじめに
 私はいつも斜陽産業の優良企業に注目している。コンピュータや医療技術などの高成長の産業は、注目されるがゆえに多くの競争相手が集まってしまう。一つの産業があまりに人気が出てくると、そこで利益を上げることが難しくなる。
 私はいつでも投資対象としては人気業種よりも斜陽産業を優先することにしている。斜陽産業のなかでは、ある会社はゆっくりと成長しているが、弱者は脱落していき、残存者は大きなマーケット・シェアを得ることになる。不活発なマーケットのなかでそのシェアを継続的に増加させることができる企業は、マーケット・シェアを減少させないよう努力しなければならない企業よりはるかに裕福である。
 斜陽産業における偉大な企業は、共通した性格を持っている。低コスト主義の経営であり、役員室には経費削減派がいるだけである。彼らは借金を嫌うし、ホワイトカラーとブルーカラーの差別もなく、従業員の給与水準はおおむね高く、従業員は会社の将来について真剣に考えている。彼らは、大企業が見逃したニッチ・マーケットを見つけるのである。こういった企業の成長速度は、人気のある高成長業界の会社より速い。
 豪華な役員室、大盤振る舞いの役員報酬、覇気のない一般従業員、過剰な借金、そして中途半端な業績というものは、同時にやってくる。もちろん、この反対になることもある。つまり質素な役員室、適切な役員報酬、士気の高い一般従業員、少ない借金などは、いつの時代でもすばらしい企業業績と同義語である。
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 この会社は活発な店舗網拡張計画に取り組んでおり、この計画のもとでサンは近い将来に二二店舗体制となる。負債は一〇〇〇万ドル未満であった。株価は18ドルであり、PERは一五倍であった。年率二五~三〇パーセント成長する企業が一五倍のPERでしか評価されていなかった。競合他社がなんとかやりくりしているときにである。
 サンは九〇~九一年の景気が後退し、消費低迷で誰も新しい家電製品を買わない不況の時期にも、利益を上げていた。しかも九一年にこの会社は、増益を達成しており、九二年はさらによくなることは間違いなかった。
(弟12章 砂漠の中の一輪の花 - 斜陽産業における偉大な会社群)

○ サウスウエスト航空
 八〇年代において、イースタン、パンナム、ブラニフ、コンチネンタル、そしてミッドフェイといった航空会社が倒産した。そして他の数社も倒産の危機に瀕していた。しかし、この航空業界にとって惨憺たる一〇年間にかかわらず、サウスウエスト航空の株価は2ドル40から24ドルまで上昇したのである。なぜか? その理由は、サウスウエスト航空がやらなかったことのすべてにあった。パリ便を持たず、上等の機内食をサービスせず、飛行機を大量に購入するための莫大な借金をしなかった。また管理職への給料を払いすぎず、そして会社を恨む理由を従業員に与えなかったのである。
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 サウスウエスト航空は、ダラスのラブフィールドのバラック小屋に似た本社で一八年間営業した。この建物に対する精一杯の褒め言葉は「古風である」というものだ。九〇年、新しい三階建てのビルをつくった。内装を美しくするために、室内塗装業者が雇われたが、その業者は従業員表彰の額と社内旅行の写真を、高価な美術品に置き替えようとした。CEOのハーブ・ケラハーがこれを知ると、彼はこの室内塗装業者をくびにし、週末を使ってその表彰額と写真を掛けなおした。
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 他の航空会社が大型機でロスアンジェルス、ニューヨーク、ヨーロッパ便でしのぎをけずる間に、サウスウエストはニッチに特化している。つまり、近距離運航である。自らを「高頻度、近距離、低料金の唯一の航空会社」と呼んでいる。他社が熾烈な競争をしている間に、サウスウエスト航空は七八年当時の四機での運営から、いまや八番目に大きな航空会社へと成長した。七三年以降、毎年黒字を続ける唯一の航空会社であり、資本効率も高い。
 競争相手がつまづいている間に、サウスウエスト航空は十分にそれに乗じる準備をしていた。ニッチ・マーケットのなかの偉大な会社の戦略である。USエアーとアメリカ・ウエストの両社が資金繰りの問題のために運航を中止せざるをえなかった路線に進出したのである。
(弟12章 砂漠の中の一輪の花 - 斜陽産業における偉大な会社群)

○ グリーン・ツリー・ファイナンシャル
 今話そうとしている斜陽産業は、モービル・ホームの抵当融資である。グリーン・ツリーは、そういった融資に特化しており、ビジネスは年々振るわなくなってきている。八五年以来、毎年モービル・ホームの売上げは減少している。九〇年は買い手はほとんどなく、二〇万台の販売しかなかった。
 この業界の悲惨さは、グリーン・ツリーにとってはチャンスとなった。つまり、おもな競争相手が撤退したのである。
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 九〇年の末、株価が最安値の8ドルにまで下落したとき、多くの人は、業界の再興を疑問視していた。『フォーブス』は、その年の五月に悲観的な記事を書いていた。「ツリーの根は枯れるのか?」という見出しだけで、グリーン・ツリーの株を手放したくさせるものであった。レポートは、すべての苦境を再確認した。つまり、モービル・ホームの販売低迷、融資の焦げ付き、グリーン・ツリーの融資に対するこじれた訴訟等である。「七倍のPERでもグリーン・ツリーの株価は割安とは見えない」と『フォーブス』は結論づけた。
 投資家はこの見方に反対し、株価は九カ月で36ドルへと上昇した。どのようにして、悪い状態が好転したのか? グリーン・ツリーには、モービル・ホーム融資ビジネスで、競争相手は一社もなかった。この結果、融資量が急激に増加した。また、その融資をまとめた商品を流通市場で売りはじめた。
(弟12章 砂漠の中の一輪の花 - 斜陽産業における偉大な会社群)









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