ピーター・リンチの株式投資の法則(第17章 ファニーメイ日記)

ピーター・リンチ (著), 酒巻 英雄 (監訳) 2002年3月14日


○ はじめに
 八六年以来、『バロンズ』の座談会に有望銘柄としてファニーメイ(訳注:連邦住宅抵当金庫の愛称。モーゲージ〈住宅抵当貸付債権〉市場での流動性補完を目的とする政府機関として設立されたが、六八年に株式会社に転換、民営化された)を毎年推薦してきた。八六年に、この銘柄をフィデリティ社の四分の一の従業員数でその一〇倍の利益を上げている会社であると述べて、「文字通りアメリカでベスト企業である」と褒めちぎった。
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 ファニーメイは、非常によい投資対象であった。しかし、投資の際には、いつも何かしら心配の種はある。「あなたは間違っている」と言うだけで尊敬されている投資家がいつもいるものである。そういった人たちよりも企業に対する理解を深め、そして、信念を持って投資することが大切である。
 株式が期待よりもよい成果を上げるためには、多くの人々に会社が実力よりも低く見られていなければならない。そうでなければ、初めから高い株価で売られているわけである。有力な、多数の意見が自分の見方よりも否定的であるとすれば、継続的に事業をチェックしなければならない。そうして自分が根拠もなく楽観的になっているのではないことを確認する必要がある。
 ファニーメイに起こっていた変化を、ウォール街は無視した。新しいファニーメイが投資家の眼前に現れても、古いファニーメイの印象が強烈であったため、それをきっちりと認識することが難しかった。私は、ただちにというわけではなかったが、この変化に気がついた。それでも、二億ドルの投資から六倍の利益を得るには十分に早い時期であった。ここで、私のファニーメイ日記を披露しよう。
(弟17章 ファニーメイ日記)

○ 一九七七年
 ファニーメイは低い金利で借り入れをし、長期のより高い固定金利のモーゲージを購入した。そして、金利差をポケットに入れた。
 この戦略は、金利が低下していく局面では、うまく機能した。ファニーメイはそういった時期には大きな金利差を稼いだ。なぜならば、借り入れコストはどんどん低下し、他方で固定金利のモーゲージから入ってくる受け取りは一定であったからである。しかし、金利が上昇する局面では、借入れのコストが上昇し、ファニーメイは大きな損失を計上した。
 この株を買ってから数か月後に少しばかりの利益を出して売却した。私は金利が上昇するものと考えた。
(弟17章 ファニーメイ日記)

○ 八一年
 七〇年代の半ばにファニーメイが購入したモーゲージの金利は八パーセントから一〇パーセントであった。この時期に、短期金利は一八パーセントから二〇パーセントへと急上昇した。一八パーセントで借り入れて九パーセントで貸し付けては、うまくやっていくことはできない。投資家もこのことはよく知っていた。したがって、七四年には9ドルまであった株価が歴史的な安値である2ドルにまで下落した。
 この時期は、住宅所有者をして、「家には満足している。それにも増してローンの金利が低いのが最高である」と言わせるような、極めて希有な時期であった。ファニーメイにとっては大変な時期であった。同社が倒産するという噂も流れた。
(弟17章 ファニーメイ日記)

○ 八三年
 準政府機関という位置づけのためにファニーメイはIBM,GMあるいは他の幾千もの会社よりも低コストでの借り入れが可能であった。たとえば期間一五年、金利八パーセントで借入れ、一五年、九パーセントのモーゲージを買い、一パーセントのスプレッドを稼ぐことができた。アメリカの他のS&Lや金融機関は一パーセントのスプレッドでは利益を上げることができない。
(弟17章 ファニーメイ日記)

○ 八四年
 将来の苦境を回避するため、ファニーメイは貸し付けに借入れをマッチさせることを始めていた。低い金利で短期借りすることに代えて、高い金利ではあるが、三年、四年、一〇年満期の債券を発行した。これによりファニーメイの資金コストは上昇し、短期的には収益に悪影響を与えた。しかし、長期的にみれば、過去の心配の種であった金利の変動に対して弱いという体質を変えることができた。
(弟17章 ファニーメイ日記)

○ 八五年
 新しい危惧が忍び寄っていた。金利ではなく、テキサスであった。テキサス州のS&Lが石油ブームに乗って異常な過剰投資を行っていた。ヒューストンでは五パーセントの頭金で融資を受けた人々が、夜逃げし、家とモーゲージをそのままにしていった。ファニーメイはそのようなモーゲージをたくさん所有していた。
 五月にワシントンにある同社を訪問し、デビット・マクスウェルと話をした。モーゲージ・ビジネスでのいくつかの有力な競争相手が脱落した。モーゲージの売買をしていたライバルが少なくなることによって、ローンの利益率は高まっていた。これによりファニーメイの利益は増加することになる。
 ファニーメイの内容がよくなっていることに感銘を受けた。より多くの株を買い、私はさらにファニーメイ株を買い増した。ファニーメイは、ファンドの二パーセントにまでなり、組み入れ上位一〇銘柄の一つとなった。
(弟17章 ファニーメイ日記)

○ 八六年
 テキサス州での出来事は、モーゲージの証券化ビジネスのすばらしさを少しかすませていた。借り替えをすることが国民の一つの性癖となっているかぎりは、このビジネスは成長することが約束されていた。新しい家が売られなくとも、モーゲージのビジネスは成長するであろう。古い人々が古い家から出て行き、新しい人がその古い家を買う。そのときに新しいモーゲージがつくられなければならなかった。そうしたモーゲージの多くを、最終的にはファニーメイがパッケージにし、より多くの手数料を得た。
 ファニーメイは変身した。利益拡大期に入ろうとしていた。しかし、多くのアナリストは弱気であった。モンゴメリー証券は顧客に対して、「ファニーメイは平均的な金融機関に比べて割高である」と伝えた。ファニーメイは平均的な会社であるわけがない。モンゴメリー証券は続けて言う。「最近の石油価格の急落により、同社の南部での一八五億ドルのモーゲージは悪影響を受ける可能性がある」
(弟17章 ファニーメイ日記)

○ 八七年
 同様にファニーメイは、金利変動の影響を克服していた。同社はブリストル・マイヤー、GEと同じいように収益見通しが確かな、確実に成長する企業になっていた。しかも、ブリストル・マイヤーよりも高い成長を続けていた。一株当たり利益は八三セントから一ドル五五セントに急増した。
 ブラックマンデーの数日前である一〇月一三日に同社に電話連絡した。CEOのデビッド・マクスウェルは興味深いコメントをした。彼は、金利が三パーセント上昇したとしても、ファニーメイの利益はわずか五〇セントも減らない、と言った。昔は、そういったことが言えたためしがなかった。体質転換に成功したのである。
 他の株式と同様にファニーメイ株も一〇月一九日には、大きな打撃を受けた。投資家はパニックになり、評論家はこの世の終わりを予想した。ファニーメイの担保権実行の比率が依然として上昇していたが、九〇日の債務不履行率が下がっているということが、私に安心感を与えた。債務不履行の割合が下がっているということは、ファニーメイは完全に最悪期を脱したということを意味した。
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 人々がローンを支払い続ける限り、ファニーメイは、世界中で最も有利な儲かる企業であろう。
 この世の終わりが近づき、人々がモーゲージの支払いをしなくなったときには、ファニーメイは銀行システムやその他のシステムと一緒におかしくはなるだろう。しかし、そういったことは一夜にしては起こらない、人々が一番最後に手放すのは住居であろう。文明社会において、ファニーメイの株よりもよい投資案件は想像できなかった。
 ファニーメイは私と同じ意見であったに違いない。ブラック・マンデーの後に同社は、五〇〇万株の自社株の買戻しを発表した。
(弟17章 ファニーメイ日記)

○ 八九年
 偉大な投資家であるウォーレン・バフェットが、二二〇万株所有していることに気がついた。幾度かファニーメイと話をした。七月には不良資産に改善が見られた。コロラドには少し問題があったが、テキサスでの問題はなくなっていた。奇跡中の奇跡は、ヒューストンの住宅用不動産価格が上昇したことである。
 私の最近の寝る前の楽しみであるが、全国の債務不履行の統計を見ていると、ファニーメイの九〇日の債務不履行の割合は再び下がっていた。八八年の一.一パーセントから八九年には〇.六パーセントとなっていた。住宅用不動産価格もいつものように上昇していた。
 この年は、さらにファニーメイ株を買い増し、マゼラン・ファンドの総資産の四パーセントがファニーメイに投資されていた。暮れには、五パーセントの組み入れ上限にまで達した。それはこれまでの最大であった。
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 同社が引き続いて年率一五~二〇パーセントの成長をするということに、ついにウォール街は気がついた。株価は16ドルから42ドルに、一年間で二.五倍にもなった。たびたび株式市場で起こることであるが、何年かの忍耐があっという間に報われたのであった。
 この高い株価でもファニーメイのPERは一〇倍であり、依然として割安であった。
(弟17章 ファニーメイ日記)

○ 九〇年
 すべてがうまくいっていたのに、夏と秋に株価が下落するのではないか、と不安な週末を迎えることがあった。サダム・フセインがクウェートに侵攻した。そして、我々がサダムに逆襲した。このときの心配は、湾岸戦争がテキサスの災厄の全米版となるような不動産不況をもたらすのではないかということであった。
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 ファニーメイの株価は、サダム・ショックのときに42ドルから24ドルまで下落した。しかし、直ちに、再び38ドルまで上がった。
(弟17章 ファニーメイ日記)

○ 九二年
 六年間連続して、ファニーメイを『バロンズ』に有望銘柄として推奨してきた。株価は69ドルであり、一株当たり利益は六ドル、PERは一一倍であり、マーケット全体のPER二三倍に比べると非常に割安であった。
 さらにもう一度、会社の内容がよくなる話があった。ファニーメイは償還権(コール)付き債券を発行することにより、金利リスクを軽減した。
(弟17章 ファニーメイ日記)









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