バフェット投資の王道(第11章 豊かな人生を送るためのバフェットの教訓)

ロバート・P・マイルズ (著), 三原 淳雄 (著), 小野 一郎 (著) 2005年1月17日


○ 素晴らしい性格と強い倫理観
 本書の各章で見てきたように、バフェットが資産形成に成功したのも、彼の性格、人柄によるところが大きい。例えば、株式の一部を所有していたソロモン・ブラザーズとその従業員を破滅から救うために、バフェットは自分の評価を危険にさらした。しかも、その報酬は一ドルしか受け取らなかった。税金還付の計算は自分で行う。彼自信を含めて、経営者にストックオプションを付与したことがない。自分の会社の株式を売却したことは一度もないし、彼の会社の株式を買うようにと人に勧めたこともまったくない。
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 バフェットは大学生に対して、クラスの中の誰に、自分の将来の収入の一〇%を投資したいかという問題を投げかけて楽しんでいる。たいていの場合、一番の美男美女は選ばれないし、スポーツが一番の人も、最も背の高い人も、一番足の速い人も、あるいは一番頭のよい人も選ばれない。結局選ばれるのは、性格が一番よい学生である。誰でも本能的に、そのような人が一番お金を稼ぐだろうとわかっているのである。
 また、今度は逆に、最もお金を稼ぎそうにない人、株式なら空売りしたい人を選ぶという問題も投げかける。今度も、選ばれるのは、成績が一番悪い学生ではないし、スポーツでいつもベンチを温めている補欠でも、また知能指数が低い人でもない。選ばれるのは、いつも抜け道を使い、本心を表さず、よい話は自分の手柄にしようとすることで悪名高い人物であり、頼りにならない傲慢なエゴイスト、独善的で信用できない人になる。
(弟11章 豊かな人生を送るためのバフェットの教訓)

○ よい評判の価値
 他の州からも、地方自治体、州の政治家や知事の候補が、さらには大統領候補までがオハマを訪れ、バフェットからアドバイスをもらい、彼の支持を得ようとするのも、彼の輝かしい評判によるものである。大企業のCEOたちも、電話、あるいはオハマを訪問して、バフェットの賢明な助言を求め、場合によっては、自分の企業の株式購入を依頼することもある。地方、州、そしてアメリカ政府との間でトラブルを抱えた企業の経営者は、賢人のアドバイスを得て評判を回復しようと、オハマを訪れる。
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 経営者は、次のことを常に頭に置いておくことを求められる。「お金を失うことは許される。たとえ金額が大きくても大丈夫だ。しかし、たとえごくわずかであっても、評判を落とすことは許されない。バークシャーにとって、いい評判を得ていることが、多数の買収案件をはじめ、多くの面で大いに役立っている。素晴らしい評判を得ている経営者と企業は買収の対象になる可能性があるので、それらを見つけるように常に注意を払うべきである」。
(弟11章 豊かな人生を送るためのバフェットの教訓)

○ 規律正しいことのメリット
 バフェットは今でも、二〇歳のときの手書きの出納帳と株式ポートフォリオの記録も、一四歳のときの税金還付書類も保存しいている。父親が連邦政府の下院議員になったためワシントンDCに住んでいたときに、新聞配達で三六四ドル、配当と利息収入二二八.五ドル、合計五九二.五ドルの収入を計上し、連邦税を七ドル負担していたのだ。
 バフェットは新聞配達をしていたとき、自分が配達したワシントン・ポスト紙とヘラルド・トリビューン紙の部数を毎月記録しているだけでなく、要した費用(時計修理一〇ドル、自転車修理三五ドルなど)も克明に記していた。
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 二一歳のバフェットが達成した利回りには驚かされる。将来の億万長者は、二一歳にして、二五〇〇ドルの追加投資を行い、投資額の七五.八%にあたる七四三三.九三ドルの利益を上げたのである。これは一九五一年におけるダウ・ジョーンズ工業株価平均五四.五%も上回る成績であった。
(弟11章 豊かな人生を送るためのバフェットの教訓)

○ 小さな倹約が富を生む
 バフェットの生活は、平均的な大学生とたいして変わらない。ネブラスカ・ファーニチャー・マートで買った六〇〇ドルのベッドで眠り、大画面のテレビ(飲み屋に行けばどこにでもある)でカレッジ・フットボールを見る。自宅のコンピュータでブリッジを楽しみ、どの図書館でも見ることのできる公表された財務レポートを読む。
(弟11章 豊かな人生を送るためのバフェットの教訓)

○ 運も重要な要素
 自由社会と資本主義の中心にあるアメリカ合衆国に生まれ、その環境に完璧にマッチした才能を持っていたことは、たいへん幸運であった。最高の投資と経営を本能的に行える人物にとって、人口は世界のわずか四%でありながら世界中の資本の五〇%が集中し、資本主義を信奉する経済システムと一定の自由を保障する政治システムを持ち、実力主義が徹底しているアメリカ合衆国という国に生まれたことほど幸運なことはない。しかも、資本主義が歴史上最も進展した時代、ダウ・ジョーンズ工業株価平均が一九三〇年代の一六五ポイントから、七〇年後の二〇世紀終わりには一万一〇〇〇ポイントまで上昇したその時期に、バフェットは生まれたのである。
 別の言い方で、バークシャーの創設者が二〇〇年前のバングラデシュに生まれ、耳がよいのでもなければ、走るのが速いのでもなかったとしたら、野生動物の餌食になっていただろうと言ったのは、バフェットの親しい友人、ビル・ゲイツである。
 投資と経営の才能を軽視するわけではないが、バフェットが適切な遺伝子を持ち、それを活かせる絶妙のタイミングと場所で生まれたことは本当に幸運であった。
(弟11章 豊かな人生を送るためのバフェットの教訓)









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