バフェットの投資原則(第3章 仕事の原則)

ジャネット・ロウ (著), 平野 誠一 (翻訳) 2008年8月22日


○ スタートは早めに切る
 バフェットが初めて株を買ったのは一一歳のときだった。姉のドリスと一緒に、シティー・サービス社の優先株を三株購入した。株価は三八ドルだったが、ほどなく二七ドルに下落し、二人は少し心配になった。そこで四〇ドルに戻したときに売却したのだが、その後株価はぐんぐん上昇し、二〇〇ドルに達してしまった。バフェットはこのとき、じっと耐えることを学んだという。
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 バフェットは子供のころから、さまざまな事業を手がけてきた。安く仕入れたコーラに利益を乗せて友達に売ったり、レースの結果を予想する競馬新聞を発行したり、新聞配達をしたり、ゴルフ場でロストボールを拾い集めたりした。
 首都ワシントンのウッドロー・ウィルソン・ハイスクールに通った高校時代には、友達と組んで中古のピンボール・マシン一台を二五ドルで買い、床屋においてもらって小銭を稼いだ。ウィルソン・コイン・オペレイテッド・マシン・カンパニーという社名を名乗って集金に出かけたところ、初日だけで四ドルの売上げがあった。「宝の山を見つけたと確信したね」と、バフェットは述懐している。
 この事業は週辺り五〇ドルの純利益を生み出した。バフェットはその利益でネブラスカ州北東部の放置されていた農場を購入した。高校を卒業するころには、銀行預金の残高が九〇〇〇ドルに達していた。
(弟3章 仕事の原則)

○ 働きたいところで働く
 「たぶん、ニューヨークやカリフォルニアに住んでいる友人のほうが、オハマにいる友人よりも多いと思います。でも、オハマは子供を育てるにはうってつけの、暮らしやすい土地です。ここでは、じっくりものが考えられます。市場についての考えが、都会にいるときよりもまとまるのです。よけいな雑音が入ってこないので、目の前にある銘柄に神経を集中させることができるんですね。本当に、いろいろなことを考えることができますよ」
(弟3章 仕事の原則)

○ 尊敬できる人と働く
 ある大学院生から就職の相談を持ちかけられたときには、こう答えている。
 「尊敬できる企業に入り、尊敬できる人たちがいる職場で働くべきです。自分が学ぶべきものを持っている人が周囲にいて、かつその組織になじむことができれば、よい結果はおのずとついてくるでしょう。今はみじめでも、一〇年後には良くなるなどと思って行動してはいけない。今はこれしか稼げないが一〇年後にはその一〇倍稼げるなどと思って行動してもいけない。今楽しめないものを、一〇年後に楽しいむなんてことができるでしょか。たぶん無理でしょう」
(弟3章 仕事の原則)

○ 引き際を知る
 株式市場が絶好調だった一九六九年に、バフェットは一度引退している。託された投資資金を約一三年間で三〇倍に増やしたバフェット・パートナーシップを清算し、投資家にすべて返還したのだ。このとき、バフェットは三八歳だった。
 「ウサギのように元気な株式市場全体の値上がりに一生ついていくなんて、私はやりたくありません」

 しかも、
 「これ以上財産を積み上げようという気にもなりません」

 そこで、
 「減速するには、停止するしかないと考えました」
(弟3章 仕事の原則)









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